yokohamaumareyokohamasodachi’s blog

お酒に溺れた時限定で綴るブログ

伏線厨にはなりたくない〜ミッドサマー鑑賞〜

昨日名古屋へ出張しに行った。泊まったホテルにはVODサービスがあったがアダルト系だろうと思いスルーしていた。仕事も終わり夜ご飯やお風呂も済ませ寝る前になんとなくテレビを付けていた。操作ミスでVODサービスのページに飛んでしまい元に戻そうと思ったが気になる作品が出てきた。そう、「ミッドサマー」だ。アダルト系のサービスじゃなかったのかという感情はさておき、昨年私の周りの映画好きの人の中でも噂になっていた作品だと思い出した。既に11時半を回っており今から見ると午前2時くらいまでかかってしまう、明日も朝から仕事だ。本来ならタイミングが悪かったと諦めて寝るはずだが出張中ということと、お酒が入っていたこともあり少しハイになっていたため再生ボタンを押したのだ。(登場人物のようにキマッていたから見始めたと思うと作品に引き寄せられたような気がして恐ろしい。)

内容はほぼ省略する。観賞後の感想はいい意味で最悪の映画だった。久しぶりに頭がおかしくなるような、得体の知れない恐怖を感じたりするような、とにかく正常な状態ではいられなかった。まさにトリップした感覚だ。単純にホラー要素やグロテスクなものが苦手というのも相まって心がやられた。世間の人々はどのように感じたのかが気になり検索をかけてみた。すると「ミッドサマー考察」や「ミッドサマーの伏線」などのページが多く出てきた。スウェーデンの風習や監督のコメントなど作品を肉付けするような記事もあり面白かった。ただ本当にしょうもない記事や感想が多くて困惑した。それは伏線とは言わないだろうというものを「ここで伏線があります」などと満足気に書いているのだ。見ろ!映画を集中して見ろ!あれか?あなたは映画を倍速で見るタイプの人か?そういうのは伏線とは言わないと思うんですよ。タペストリー?だったり壁に書かれた絵だったりはめちゃくちゃ強調されてませんでした?なんか違う気がするんですよね。伏線てあくまで監督の趣味みたいなもので、物語後半でそれに気づいた時に鳥肌が立ち、これのことだったのかぁぁ!と独り言を言いたくなるようなものだと思ってる。そう、1人で伏線に気がついてニヤニヤするのが良いのであって、これ大事ですよー、これ後半に関係してくるよーとわざわざ教えてくれているのは物語に必要な「設定」であって「伏線」ではないと思う。伏線厨はもっと単純に作品を楽しめば良いのにといつも思う。作品全体を通しての昼間の明るさと豊かな自然に囲まれた中でのカルトじみた狂気のアンバランスさを感じてほしい。もし友人と一緒に見て、観賞後にあの壁画はその後の展開の伏線だったねとか言われたら間違いなく萎える。萎えたあげく、友人を黄色い三角の小屋にぶち込んで火を放つだろう。

こんな攻撃的な感情になってるのは「ミッドサマー」のせいだろう。トリップしたせいで普通が分からなくなっているのだろう。だから、私もクリスチャンのように正常な判断が出来なくなりVODアダルトサービスを付けティッシュの中に子孫を残したのだった。もちろん果てる時はマヤを思い浮かべながら…