yokohamaumareyokohamasodachi’s blog

お酒に溺れた時限定で綴るブログ

自分に幸あれ

昨日はとても楽しかった。大学時代の大好きな友人と後輩と会って元気を貰った。

その分夜更かしをしてしまい朝起きるのが遅くなってしまった。カーテンを開けると目が眩むような光に包まれた。梅雨明けのとても爽やかな朝のはずだった。でも何かが「違った。」思えばこの時点で今日の運命を暗示していたのかもしれない。シリアルに豆乳をそそぎ、五輪の音楽家スキャンダルのくだらないニュースに対して薄っぺらな感想を薄っぺらなタレントがコメントし合っているのに嫌気がさし、外から微かに聞こえる小学生達の声だけが響く部屋で黙々とシリアルを口に運んだ。

徐にスマホを手にとりSNSを見て回った。トレンドには漫画に疎い私でも聞いたことはある漫画家の読み切りの感想が上がっていた。何となく嫌な予感がしたが案の定考察厨が湧いていた。他には作者を称える感想が多くみて取れた。こういう時私はとりあえず作品に触れてみることを心掛けているため早速漫画アプリを開いた。意味深なシーンや「考えさせられる」ようなストーリーの漫画であった。思わず唸るような展開もあり素人目にも完成度の高い読み切りであることは分かった。私が音楽が人生の軸になっているようにこの漫画家にとっては絵が人生の軸になっているのだと感じた。だからこそこの読み切りを見て隠されたメッセージよりも表面的な所しか見ず讃えている感想を見て吐き気がした。SNSを使っているとそういう根底から「違う」人達の言葉を受け取ってしまうのことが往々にしてある。

なんて事を超満員の電車内で揺れに身を任せて目を閉じながら考えていた。勤務時間中の事はよく覚えていない。大した事はしてなかったのだろう。定時を少し過ぎ、そそくさと帰りも同じように満員の電車に揺られた。帰りにスーパーに寄る予定だったが何故か「違う」と思い駅からまっすぐ家に帰った。週末に買った安いアメリカ牛と冷凍していた野菜を雑に鍋に放り込み火にかけた。獣臭が残り歯切れの悪い肉を噛みながら録画していたアニメを見る。妻を亡くした夫が現実を受け止めきれず妻の幻覚を見ていたという内容だった。ポップなアニメーションの中に潜む脚本家の毒を除いた気がしたが不思議と嫌な気分ではなかった。アニメの終わりとほぼ同時に夕食も食べ終わり後片付けをする。いつもならすぐお風呂場へ向かうのだが、会社スマホで連絡がないかチェックした。

最悪だった。別に嫌な事を言われたりされた訳ではない。むしろ本来良いとされる事だった。しかし、言語化できない何か暗く黒い感情があった。何も無くなった。布団に横たわり手も足も動かないのに頭の中で考えることだけは止まない。泣くでもなく怒るでもない。ふっと心の火が消えたという例えが近いかも知れない。後2日働けば連休があるのに行きたくない。何もしたくない。私を生かしてくれるのは音楽しかない。今の感情を歌っているような曲を集めてプレイリストを作る。流石自分。鬱屈した感情を様々なアーティストがメロディに乗せて歌ってくれる。

日々の生活やたまにある幸せ、負の感情。もしかしたら私はこの一つ一つに対して敏感になり過ぎているのかも知れない。人と比べない方が幸せな時もあり、時には人と比べて優位に立つ事で優越感に浸る時もある。ただ、どんな時でも自分の現在位置を見誤ってはいけないのだと心に問いかけている。友人も恋人も家族も私ではない。私を1番幸せにできるのは私なのだから。私を気にかけてくれる人はその幸せを倍にしてくれるということで、元が0なら増やす事はできない。私に寄り添ってくれる人のためにも私自身で幸せを掴み取らねばならない。貪欲なまでにもがき苦しみながら、泥水を啜ってもいい。自分が自分らしくいられるように、自分を好きになれるように、自分を誇りに思うように生きていけ、自分。