あぁ愛しいかな、人間
僕は人と関わる事が苦手だと思う。
私の方が…みたいな人もいるだろうけど、何を話せば良いか分からないとかコミュニケーションがとかじゃないでしょうかね。
僕の言う関わる事というのは自分の身を相手に委ねる意味のこと。「全幅の信頼を置く」とかかな。これといって取り柄もない僕だけど、愉快な仲間が周りにいるのは幸いなことだと感じる。もちろん皆んなの事は好きだけど、ふとした時に孤独を感じる。こんな経験は他の人もあるんじゃなかろうかい?孤独を美学に感じる歳はもう過ぎてるだろうしなんで僕はこうも無を感じるのかなと自己分析してみた。
一つとしておうちの話があると思う。両親がいて姉がいて、おもちゃを買って貰ったり旅行したり不自由ない暮らしができていたと思う。
幼い時は。
思春期になって周りと自分を比べるようになると自分のおうちの歪に気づき始めた。心無い言動を浴びせ、そうかと思えば僕に普通に接してくる。混乱して訳がわからない。そんな状況でも年月は進み、成長することができた。大学を出たら絶対家を出るという願望を持ち続けて成長した。大学在学中は実家にいるのかよ!というなんとも中途半端な願望だった。今になって思えば社会人になってもおうちにいて良かったかもしれない。けれど、あの時は家族は頼れる人の枠にいなかった。幼少期の楽しい思い出も思春期の苦しい記憶でぐちゃんぐちゃんになって家族に何かを与えることも求めることもなくなった。ただそこに存在するだけになってた。
そんな育ち方をして誰かとつがいになれるのかというとこだが案外なれた。でもなれなかった。なれなかったというよりは成りきれなかった。相手のことを受け止める覚悟はあっても自分を受け止めて貰う覚悟はなかった。どこまでいっても自分の人生は自分の責任だから、と。
社会人になり新しく人と関わる事が劇的に増えた。休日も遊びに誘ってくれる先輩や、ご飯に誘ってくれる同期。かなり恵まれた環境だと思う。けれど孤独のまま。一生涯の友人なんて1人いればいい方だろうけど、関わる人全てにそのレベルを求めてしまう。だから距離感が分からなくなり自然と他者を遠ざけてしまう。本当はもっと自分を見てほしい、他者と深く関わりたいのに…
悲しきモンスターみたいな事を言う僕だけど、そんな僕を見て、微笑んでくれるような人はいるのかな?いたとしたら心の器がたいめいけん。いや、僕がむしろ皆んなに愛を振りまきたい。誰よりも人間が好きだから。
横浜生まれ横浜育ち
中野よりあいをこめて