yokohamaumareyokohamasodachi’s blog

お酒に溺れた時限定で綴るブログ

長い坂の途中で

tipToe.の「長い坂の途中で」
アーティストについてはあまり知らない。調べるとどうやらこの曲を歌っているメンバーは全員卒業して新体制になっているらしい。つまり、今彼女らのライブに行っても曲を聴いて感じたものとは全く別のものになってしまうだろう。
アーティストについてはこれくらいして、曲についての感想を述べていく。
高校生のお別れのことをアップテンポで爽やかに歌う感じだろう。この曲に関しては歌詞についてかなり自己流の解釈をしている。例えば、「最後の式も終わって意外と涙もなくて今日でお別れなんて思えなかった」流れ的に言えば卒業式のことだろう。それをわざわざ最後の式(音源だと最高の式?洒落込んだ式?にも聞こえる)と言い換えるところに歌詞を書いた人の意図を感じてしまう。また、落ちサビの「君のいない遠い街を生きていくそれでも私たちは繋がっているよ」これも流れでは進学や上京などだろう。
普通に聴くならば、卒業式で友達とお別れのことを歌っていると聴けるが私は擦れているので「死別」の歌だと勝手に考えている。そう感じたのはラスサビ以降の歌詞にある。「もしも時を巻き戻して最初からやり直せたとしても君に初めまして。」引越しなどで物理的に離れてしまったとしても現代ならば連絡を取り合うことは難しくないだろう。未来があるならば、時を巻き戻して最初からやり直すという考えには至らないのではないか?卒業ソングなのか死別ソングなのかは登場人物の関係性にもよるのではないかと思う。
そこで登場人物についても整理していく。歌詞に出てくるのは、「私」と「君」の2人である。アーティストが女性であることや、「尽きない話でいっぱいになっちゃうけど」「長く伸びた髪に透く西陽の頃」「風に揺れてなびく髪を追いかける」という歌詞から「君」は女の子で「私」は女の子?というところである。いずれにせよ歌詞だけでは断定はできないラインだ。同性の友達だとすると、かなり深い友情であると推測できるが、どうしても最後の歌詞が友情ではないように感じる。
最後の歌詞は「どうかまた会う日まで幸せにさようなら」遠い街に行き別々の場所で生活することになってもここまで別れを強く主張するセリフは出てこないだろう。そう思うと死別ソングの線が強くなる。
この歌詞を聴いてさらに閃いたことがある。この歌は2人の目線で歌っているのではないかと。まず、生きている子目線を見ていく。「今日でお別れなんて思えなかった」「これ以上ない日々は思い出にしまっておいて」突然の別れた過去を振り返るような歌詞である。
亡くなったであろう方は、「行かなくちゃ」「君のいない遠い街を生きていくそれでも私たちは繋がっているよ」「もしも時を巻き戻して最初からやり直せたとしても君に初めまして。」などの歌詞が該当する。
つまり「私」が亡くなった方で「君」へのお別れを言っているように思う。沢山の楽しい君との思い出があるけど、前も向いて欲しいと「私」が言っているようにも取れる。そして最後に「どうかまた会う日まで幸せにさようなら」
だめだ、泣けてくる。ここまで書いておいて言うのもあれだが、曲解した受け取り方をしているのは間違いない。しかし、わざわざ2人の関係性を断定しなかったり、情報を少なくして行間を読ませようとしているならばそういうことなのではないか。わずか2分ほどの歌に込められた意味を考えていくのは想像以上に難しかった。単純に旧メンバーが卒業するから作ったなんてことも考えられる。深読みするのがオタクだから許してください。誰か答えを教えてください。いや、知らない方がいいのかもね。
亡くなった人から生きている大切な人へのメッセージだと思う方がなんか綺麗ですよね。
それでは皆さん
「どうかまた会う日まで幸せに さようなら」